キハのさんぽ道

介護とは人生を見守ること

heder16 何回かこの「超感覚的介護学」というテーマで書き出しているのですが、

どうも途中で開店休業になってしまいす。

今回で3回目の挑戦。

「2度あることは3度ある」になるのかのか「3度目の正直」になるのか、乞うご期待です。

どうやら左脳的に章立てを考えて系統立ててとやろうとすると

煮詰まってしまうようなので、

直感に頼ろうと思います。

うん、直感がやっぱり一番正しい。

ということ、始まり始まり。

 

この世界は魂の成長の場。

あの世にいるときに、この世で何を学ぶのかを決め、

両親になる人に頼み込み、身体を提供してもらい、生まれてきます。

そして学びの目的が達成されたとき、バージョンアップされあの世に返って行く。

そんな宇宙観の中で人生を見つめると「老いる」こと「死」にたしての認識が変わってきます。

「老いる」「死」というとどうしてもマイナスイメージがつきまとうのですが、

そうではありません。

老いる=さまざまな経験を積み重ねる。
死=目標を達成した!

とういことになります。

そんな意味合いで老化や死を捉えると、そこに携わる「介護」は

ADLの維持だとかQOLの向上だとか、自立した生活だとか、

そんなもんは単なる手段でしかないことわかります。

その先にもっと重要なことがあるのではないでしょうか?

私は19年間、高齢者施設で介護職、相談員、ケアマネージャー、包括支援センターと働いてきました。

そんな中で私の考える介護とは人生を見守ることだと思っています。

動けない高齢者の世話をすることではなく、他者を通しての人生の学びであります。

これからこのブログではいろいろと書いていきますが、根底にはそんな思いが流れています。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

気波 拝。


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